雪上蹂躙

 歓声が、ちっぽけな私を押しつぶそうとばかりに壁越しから響いてきている。何度も何度も聞いたはずなのに未だにそれに慣れる気配がない。戦うマスターとポケモンたちに向けられた励ましの歓声であるとわかっていようとも、その声の裏には侮蔑があるとしか思えない。
 その侮蔑の声も、今となってはもうあと数回で終わりと思うと少しだけ気が楽になってきた。シュートシティのスタジアムの舞台裏にて私はじっと出番が告げられる時を死刑囚のように待っている。数回、耐えれば私は約束を果たすことが出来るのだ。歴史書に出てきたカロスの昔の王様―――アルファにしてオメガ、AでありZではない方は「約束を守らないことだけが、確実な約束だ」とか言ってた気がするが守らない約束は、約束でもなんでもない。ただの言葉だ。
 その果たすべき約束の起源をたどってみる。ワイルドエリアで私は死のうとして、ガラルの王様に助けられた。人間臭くて、それでいて「王である」故の絶対的な何かを持っていたきらめく星。それがとても眩しくて、そんな眩しい人と約束を交わしたから私は自分の気質――衆目に対する恐怖を押しのけてここまで来たのだ。
 草木を越え、洗礼を受け、炎に焼かれて、格闘し、妖精のいたずらをくぐり抜け、雪降る街で岩に踏みつけられ、荒ぶる天と竜の試練。強者という強者に立ち向かい、ぐらつく心を心強い仲間によって支えられる。恐怖のあまり自分を傷つけたことは数あれど、そういうことをしようとしたらモンスターボールの中からリオル、否、今はルカリオであるが彼が止めたので非常に申し訳なく思った。故になんとか衝動を抑えてきた。彼らを、悲しませるわけにはいかないから。
「――ああ、ここまで、きちゃったんだ」
 ぼんやりと自分を高所から見る感覚で呟いてみる。多分どこかでめげそうだなという自分の予想を遥かに超え、今ここで王への挑戦権を得るための戦いに私はいる。係の人が私を呼ぶ。持ち物を確かめた後、無理矢理自分の思考回路をバトル仕様に切り替える。愛すべき仲間達と共に私は、そのピッチへと歩んでいった。

◆◆◆

 歓声が、大きくなった。私を押しつぶさんとばかりの大歓声。ロトムが宙を舞いガラル各地に私たちの挑戦をライブ中継で画面越し音声越しに提供している。こうしたものが一種の興行となっているのは私の知る限りガラルだけらしい。今までのチャレンジだけでも声などの圧に耐えるだけで精一杯だったはずが、王に挑む権利をかける戦いなだけあって注目度も増している。思いっきりぐらりと視界が暗転しそうになるがここで膝を地につけたら今まで耐えたことが水泡に帰すことになる。
「さぁ、チャレンジャーの入場です!」
 マイク越しに勢いよく誰かの声がした。とりあえず声の通りに歩を進めるが、誰の声かわからないくらい私は既に追い詰められているらしい。プレッシャーを、ボールの中にいる仲間たちに伝えてはいけない……が常に一緒にいたルカリオ――もとい、ネルソンは彼の性質上だいたい私の心の内をしっているためいくら堪えようとも無駄だった。彼を余計に不安にさせてはならない。そう心がけてきたはずなのにそうしてしまうのは正直、どうかしている。気を取り直し私は指定された立ち位置につき、対戦相手を直視した。
「―――オ、マ、エ、か」
 対戦相手はそう口を動かしたが何を指しているのかわからない。ましてや私は目の前の男と会ったことはないのだ。そもそもそんなことを思考している暇はない。暗転して白昼夢の悪夢を見てしまう前に早くけりをつけなければ。既に審判はゲームスタートの合図をしていて、かつ目の前の挑戦者は既にボールを、構えているもの。
「――行きなさい! ネルソン!」
「行け、マルヤクデ」
 閃光がボールから溢れ、中から勢いよく互いのポケモンが現れる。言葉は分からなくとも闘志は十分。相性不利の背水の陣。手持ちのカジリガメ――もといドレイクと交換して体制を立て直そうとしたときだった。ルカリオが赤い目を背中越しに向けていた。
「このままいきたい、のですか?」
 そうつぶやくと彼はこくりと首を縦に振った。意図は不明だが彼がそうしたいのならそうさせるしかない。出そうとしていたボールを引っ込めようとしたその時だった。
「ああ、お前か。てっきりキルクスで死んだのかと思ったよ。オレの何が不満だった!?」
 対戦相手が声を荒げる。その声色がどす黒くて、思わず悲鳴を小さく上げてしまった。でもそんなことに長く浸るわけにはいかないのでルカリオの方を見た――が、彼を見てもどうしようもないことが起きていた。
 彼の足ががくがくと震えている。今まで武者震いは沢山してきたがこんなに恐れおののいている彼を見るのは初めてだ。
「オレの前ではいつまで経っても進化しなかったくせに、何が不満だった!? カレーも作った、ボール遊びをしたのにどうして!」
 ただ駄々っ子のように目の前の男は叫ぶ。確かリオルからルカリオに進化するためには「仲良くなる」ことが必要だったはずなのに―――キルクス、捨てられたリオル、目の前の男、否、こんな不吉なピースがはまるわけ、ない。あっては、ならない!
「ネルソン! 集中しなさい!」
 無理やり言い聞かせるように声を張り上げて目の前のルカリオに呼びかける。しかし怒鳴ったのがいけなかったのか、彼はさらに委縮した。
「ったく、ほんっとう変わらねぇな。リオル、いやルカリオのくせにびくびく怯えたりさぁ。ただのボール遊びの癖に逃げまどったりカレーを食べたがらなかったりよく逃げたりしてほんっとう悪い子じゃないか」
 ぶん、と目の前の彼がボールを投げるそぶりをする。ぎり、とルカリオの足がわずかながら後退した。震えはさらに激しくなり、今何か言葉をかけようとしても彼に圧を加えることになってしまう。こんなこと、初めてで想定外だ。私はどうすればいい? ……いやまて。今できることは――
「オマエの今のトレーナー、おまえのこと信じてないってよ。ほら、おまえを尊重しているくせに引っ込めさせようとしてボールを手にかけてるし」
 ―――みてるぞ、と嘲笑するように目の前のトレーナーが私を見た。違う。私は彼のために、目の前のオマエから守ろうとして意味のある退却をさせようとしているのだ。幸いにして目の前のルカリオはわかっているからか再び私に目で感謝の念を送っていた。しかし、私がしようとしていた行為を静止するかのように横に手を出している。
 ―――ああ、なんて、虚勢。
「大丈夫、これは意味ある退却です。それに貴方は――」
 せめて、私は例え借りてきたたてがみであろうとも威勢を張らないと。それにあのもの言いは色々と引っかかる。ポケモン相手のトレーナーであろうとも、子供相手の大人であろうとも絶対やってはいけないことを彼はきっと、私のルカリオにしていたはずだ――。そうでなければずっと私を前線で励まし続けてきた彼が怯えるはずがない。
「あなたは、わたしをここまで連れて行ってくれたもの」
 ふ、と天を仰ぐ。少しだけ見てから切り替えよう――としたけど天を仰いではいけなかった。

 みんなが、わたしたちのいちぶしじゅうをみている。はやくしろといわんばかりのこえ、しせんがおおすぎて、まるでしけいしゅうになったみたい。
「――」
「――」
「――」
「――」
 はげましのこえだとあたまではわかっているけど、そうじゃないとこころがけいこくしている。こえがあまりにもうるさくて、あくむのようで、こんなにもわたしのことをじっとみているさまはまるで、まるで、まるで―――わたしが、いじめられているみたいだ。
「あ、いや、やめて……やめて……」
 ちがう、いまわたしがよわくなってどうするの。やくそくをはたさないとだめじゃない。いまいるおきゃくさんも、しんぱんも、いじわるなたいせんあいてもわたしたちとえんがない――はずだから。
「ああ、そうだ。思い出したぞ。お前――ミスミだな。覚えているかい? 昔近所で遊んでやってたじゃないか」
「ちが、わたしは、あなたのことしらない」
「忘れたとはいわせがう!ないさ。ボール遊びでオマエがキャッチできるようにたくさん投げたり、たのしかったなぁ、あのころは」
 ちがう、たのしくなんて、なかった。
 わたしがうんどうできないことをしって、うごけないところめがけてなげつけるなんて、ちがう、ちがう、ちがう!
 とても、いたかったのに。いたいといってもだれもやめようとしなかったあんなことをあそびとでもいうのか! おまえたちはただわらいながらやっていたあれを、あれをまだやっていたというの!?
「―――どうし、て」
「やっと思い出したか。本当にオマエはいい子だったよ。そこのルカリオと違って逃げなかったし、いかんせん投げがいがあったから」
 くつくつと、おとこがわらっている。いいかえすのにせいいっぱいで、わたしのるかりおになにすればいいのかいうこともむずかしい。はやく、はやくいわないと。
「なぁ、あのときのよう―――遊ぼ―ぜ?また仲――を呼ん――」
 なにも、きこえない。はりついたようなえがおがわたしをとりかこんでいるようにみえている。たいようがわたしをてらしている。まるでわたしのすべてをさらしあげるように。ぐらぐらと、なかみがかきまぜられるかんじがする。
「―――」
 なんか、からだがかるくなったきがした。まるでちゅうをまったかとおもえば―――はねをもがれたあーまーのように、どさりとじめんにおちたかんじがした。
「―――あ」
 なにがおきたか、わからない。しんぱんさんはひっしになにかいっている。かんきゃくが、なにかぶーぶーいっている。わたしのせいだ。きっと。
「ごめん、なさい。おうさま」
 あたまのなかがしろくなるなか、ぼんやりとでたおもいはただ、やくそくをまもれなかったことにたいするざんげだった。

◆◆◆

 かたくて、つめたくて、べっどのようなものにのせられてる。
「――――ですか!? だい――ですか!?」
 はじめて、そのこえでなにがあったかわかった。たぶん私は、倒れていた。
「あ、だいじょうぶ、です」
「あなたの名前は、わかりますか!?」
「わたしの、名前……ミスミ、ミスミといいます」
「……よかった、よかった」
 目の前のスタッフが自分のことのように安堵している。余程私はまずかったらしい。そりゃあいきなりフィールド上で何もせずに倒れたのだから。
 そういえば、と周りをみる。怖い衆目はいない。あるのは学校の保健室のような仕切りのみ。どうやらわたしは――失格扱いになったらしい。
「そしてその、言いづらいのですが……ミスミさん、貴方は棄権扱いとなりました。いきなりの卒倒で、しばらく再開できないだろうと総合的に審判団が判断した結果です」
「やはり、そうですよね」
「大丈夫です、この舞台に上がってこられただけでも十分に貴方はすごいです」
 ではご家族の方に連絡を取りますね、とスタッフさんはどこかへ消えていった。その後何があったのかを調べるためにスマホロトムでトーナメント戦について検索をかけてみる。どうやら、あの対戦相手はその後の試合であるチャレンジャーにこてんぱんにやられたらしい。不謹慎かもしれないが、この惨状の中にある唯一の救いだった。
 ただ、結局は私の弱さがこの事態を招いたことには変わらない。膝を屈することはないとおもっていたはずなのに。たとえ私のトラウマの一つであろうとも、私個人の勝手な事情で最悪の幕引きをしてしまうのは、ずっと戦ってきた仲間たちへの最大の侮辱だ。なにより――ダンデさんとのバトルの約束を果たせなくなったのは、私としては最大の汚点だ。
「挫けてごめんなさい、ルカリオネルソンエースバーンイートンアーマーガアアーサーカジリガメドレイクマシェードキャロルモスノウオベローン。約束守れなくてごめんなさい、ダンデさん」
 一人ベッドの上にて静かにすすり泣く。誰も、いないことが幸いだった。泣いて何かが変わったり突然誰かが手を差し伸べるなんてことはあり得ないということは私自身がわかっているのに、涙は止まってくれない。
 ――そして、こころがぽきりと折れる音がした。どうやらどうあがいても衆目に対する恐怖は無理だったらしい。それを認識したとたん、心が空になってしまったような気がした。
 誰かが私の名前を呼んでいる。今まで冷たかったはずの両親が急に優しい声を出している。とても、奇妙な感じがした。

 やくそくなんて、やっぱりしないほうがよかったんだ。 

◆◆◆

「―――そうか、彼女は進めなかったんだな」
 シュートシティのある場所にて王はぽつりとつぶやいた。彼が手にしていたのは敗退してしまった彼女のリーグ挑戦にあたって提出した書類。ガラルのマイナーリーグのジムリーダーの推薦の印が押されているそれを彼は至極丁寧に扱い、書類ケースにしまった。
「その守ろうとした気概は、流石だよ。誇っていい」
 そして彼は勝ち上がってきた挑戦者を出迎えるために立ち上がる。王として、一人のチャレンジャーとして。自分の全てをポケモンバトルのために切り替えてダンデはピッチへと上がっていった。

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