3-4

 鈍い音が、聞こえる。なんか私の体にぶつかってはいるらしいけど、何なのかはわからない。
 またなのか、とぼんやり思いながら私は今、サンドバックになっている。
 しばらくして音が止まり、誰かが喋るような声が聞こえてくる。
 どうやら私をどうするかとかその類の話らしい。
 どこかに売り飛ばすのか、何かしらの材料にするのかはわからない。確かなのはライブラの事務所とかではないということだけ。
 拘束は不要と認識されているのかロープや結束バンドで手とか足とかが縛られていることはない。どこか椅子に座らされているということだけはわかった。
 ゆっくりと意識が浮上する。そこは今まで私がみたこともないような倉庫だった。これでは脱出方法すらわからない。だから私を拘束しないでいるのだろう。ぼうっとしているとかつかつとヒールのような音が私に近づいてくる。
「あ、目が覚めたぁ?」
 女の声が聞こえてくる。近所の人に話しかけるような感じでしゃべってきたのは人間の女だった。ふらふらと私の目の前で未開封の缶コーヒーをちらつかせていて笑顔を浮かべながら何かしゃべっている。まだ視界はぼやけていてわからないが、恐ろしいものを覆い隠すような声色は未だに忘れそうにない。まるで――よくみる悪夢で聞く声のようだ。
「大変だったでしょ? 見知らぬ男に連れていかれてひどいことをされそうになったの見かけてついねー、触手がでちゃった」
「触手……?」
「そう、持ち運び可能なポータブル触手。ロープにも使えるのよ。ストレス解消にもなるの」
 そういって女の人はほら、と極彩色のコンパクトを取り出した。ふたにはタコの触手がポップに描かれている。なるほど、これを開けて触手を取り出しているのだろう。それはそれとして、私をここに連れてきた人が目の前の彼女であるならば、何が目的なのか聞き出さないと。
「なるほど……。ところで、その、私に、なにか用ですか?」
「ああ、用はね、あるよ。あなたを迎えに来たの」
 視界がどんどん鮮明になる。真っすぐ滝のように落ちる黒のロングヘアにスレンダーな体。そして……忘れもしない、取り繕うような優しい声。俗にいう「人当たり」のいい笑顔で彼女は私にそういった。まるでそれが「当たり前」であるかのように。
 わからないものが、わかっていく。知りたくなかったものが、めのまえにあらわれる。
 私をここに連れてきたはんにんは、ずっとわたしをいためつけていたにんげんだった。
ペテン師シャロムジニカ……!」
「そこは親愛なる友シェアミ、でしょうに……。私がいなかったらあなた死んでたんだよ?」
「……どうして、貴方が、まだ生きているんですか……」
「えー、私からしてみればあなたが生きていることに驚いてるよぉ。まぁこんな状況だし過去のことは水に流すといったじゃん」
「言って……ませ、ん……」
「いやだからさぁ、あなたに職場とか斡旋して居場所作ったのは誰だと思ってるの?」
 張り付いた笑顔のまま彼女は言う。そんなはずないのに。いばしょなんてない。あなたがいるばしょは、わたしのばしょじゃない。いいかえそうにも、言葉が、考えが、まとまらない。
「あー、うんうん、忘れたわけないよねぇ。あなたに『忘れた』という言い訳する選択肢なんてないもんねぇ」
 ぐるぐると、彼女は私の周りをまわっている。まるで成功した人のような振る舞いで、あっぱくめんせつするようにわたしをといただしている。彼女を視界に入れたくないので遠くをみる。薄ら暗くて見えなかったが背後には何人かの人たちがたいきしている。ああ、きっとわたしをもっといためつけるためにいるんだ。
「だからさぁ、私についてきなよ今宵。一緒に戻ろう?」
「戻るって……?」
「ほら、記憶王レクス・メモリアエ のところだよ。色々成功しているっぽいから今戻ったらもっといい待遇でお出迎えするってさ」
「いい、待遇……?」
「うん! 給料沢山に、休暇も出る。そしてねぇ」
「……」
「大丈夫大丈夫、元の場所に戻るだけだからぁ。いつも通り色々読んで、いつも通り裏の方で動いて、いつも通り情報提供すればいいだけだから」
 いつもどおり、読んで。いつもどおり、うごく。
 いつもどおり殴られて、いつもどおりいびられて、いつもどおり……こわいおもいをする。うん、いつもどおりなのに、なぜかもどりたいとはおもえない。
「ほらぁ、あなたあれでしょ? あの集団昏倒事件の中心地にいたのに記憶喪失が起きずに生還したって。すごいよねぇ、あなただったらいい研究材料になるよ」
「……なんで、しってるの?」
「だってあれ、あのキノコフルボッコにしたのうちの仲間たちだから」
 ―――うそ。
 何でそんなに、たやすくほかを傷つけたことを云えるの。
「いやぁ、簡単だったよ。ガスマスク付けて遠くから狙ったりするだけでさぁ。思いっきり近づいた馬鹿もいて使えなくなったのいくつかいるけどさ」
 ぺらぺらと、なにかをしゃべっている。悪いこと自慢ということだけはわかるけど理解は、まるでできない。
「……ひどい……」
「ひどいのはそっちだよ。なんであたしらの元離れたんだよ。ところでさ、あなたさっきまで他の男といたけどアレ誰? 怖いことされてないよね?」
 ――ああ、変わらない。アレはまるで変わらない。私をいじめていた時からずっと、変わってない。自分のことは棚に上げたりとか、つごうのいいこととかいって、ばかげている。
 反撃したいけど、ちからはない。そんな真似をしたらどうなるか、痛いほどよくわかっている。
「……されてない、です」
「我慢しなくていいんだよ? 望まないセックスとかされてない? カツアゲとかさぁ」
「いいえ……」
 ちがう、あの人は、スティーブンさんは、そんなことしろとは一度も云わなかった。
 危険なお仕事させる時は何度も念押ししたから、そんなことするはずはない。
「しないんだぁ、あの人。ふーん……そんなにいい人なんだねぇ」
 ぺろり、と彼女が舌なめずりをする。そしてごそごそとポケットから何かを取り出してぱちぱちといじりだした。
「……」
 そして彼女は私の膝の上に冷たいものをおいた。恐る恐る視線を向けるとそこにはスマートフォンが置かれていた。まぎれもなく私のものである。ロックに時間をかけたからか30びょうのかうんとだうんがはじまっていた。
「あなたのスマホ、ロックかかってるから目の前で解除しなさい」
「たすけ、よんでいいんですか……?」
「ダメにきまってんでしょ。あの男の人と連絡取れるんでしょ。それで『もといた場所に帰りたいです。さようなら』と云いなさい」
 そういったとたん、彼女の背後からわらわらと黒服をきたひとたちがやってくる。なんとしてでもわたしとスティーブンさんを引きはがしたいらしい。
「言わなかったら……?」
「あの男の元に戻りたくなくなるようにするまでよ」
 バットが空をきる音がする。ジジジと何かが下ろされる音がする。低い笑い声がする。
 想像したくないくらいの、今までに感じたことのない地獄が忍び寄ってきている。
「そもそも今宵さぁ、今の状態じゃ彼の元に戻れないよねぇ? こんなにあざだらけにしたり腫れ上がったりとかして、ぶさいくだもん!」
 あはっははは 
 ははっははははっは
 わははっはは
 指をさして、わたしをわらっている。ああそうだ、私はきっとぶさいくなことになってるんだ。
「今宵ならわかってるよねぇ!? 今のあんたを受け入れる場所はここしかないってことをさぁ!」
 はやしたてるこえが、聞こえる。
 スマホのロックは解除できないまま。通知欄はGPSが動いていることが確認されている。それならばきっと、スティーブンさんはわたしのことを探しているはずだ。
 ……かんがえてみろ。今わたしの前にはふたつの道がある。暗くて怖くて慣れ親しんだ道と、明るくて優しくて初めての道。
「……わかり、ました」
 スマートフォンを手に取りロックを解除する。電話帳からスティーブンさんの電話番号を選んで、発信ボタンを押した。
 コール音がする。私が電話をかけている様子をにまにまとした笑みでみんなが見つめている。背中が凍るような感じがした。
「ハイ、こちらスティーブン……今宵、何があった?」
 2コール目につながり、彼の声がした。今まで聞いたことのないような怖い声。それでもなぜかひどく安心するようで、なきそうになる。でも今はやらなきゃいけないことがあるからぐっとこらえないと。
「……大丈夫です。しんぱいしないでください」
「いや、君の大丈夫は信用できないな。いいかい、これから僕の云うことを聞くんだ。イエスなら一回、ノーなら二回咳こめ。会話しながら自然にな」
「は、は……い」
 けふん、とせき込む。周りの様子を見るとあまり怪訝そうな表情はない。ただ出来るだけ要件はすませたほうがいいかもしれない。
「よし、今、君は危険な状況にいるか?」
 ごほごほ、と祈るようにせき込む。様子に変化はないが彼女が少しいらだっている。はやくしたほうがいいだろう。
「……わかった。場所はGPSでだいたいわかっているしすぐ近くに僕はいる。もう少しの辛抱だ。だから――」
「ま、まって、くだざい」
 すう、といきをすいこむ。わらっていたひとたちも、けげんそうにみていた彼女も私のことを真剣なまなざしで見つめている。
 彼女らの言うとおりに云えば、危害はない。いつもの日常に戻るだけ。
 それでも――今、こんな私を助けようとしている人がいる。
 多数のいかりをかうか、一人の善意を無下にするか。
 反撃して痛い目を見るか、耐え続ける日々に戻るか。
「あの、私――」
「どうした、突然しゃべって君はだいじょう――」
「私――」
 声に嗚咽が混じりだす。今まで耐えてきたものがあふれて、流れ落ちるように。

「私、私は――元居た場所に――帰りたいで――す。だから――――さよう、なら――」

 途端、堪えたのがはちきれたかのようにゲラゲラと周りの人たちが笑い出した。そんなことを気にする間もない。言えばいいセリフは、もういった。

「さようなら――と、いいたくないのです。あなたの元に――かえって、みたい、です――」

 ささやかな抵抗は、終わりを告げた。スマートフォンは奪われて床に落とされて遠くへ投げ出される。
「確かにいえばいいとはいったけど、そんなことまで云えとは言ってないよ?」
 もう、おしまいだ。
 いろんな人たちが私めがけて何かしようとしている。考えるだけは無駄だ。でもいいや。最期の最後で抵抗らしい抵抗と、一度やってみたかった助けを求めると云う行為が、出来たから。自分の身なりがどうなろうといい。

「たす、けて……」

 蚊の鳴くような声で、呟いてみる。目をつむって、感情の接続を切る。鈍い感触がまた、私の体を襲った。

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