「――今宵、今宵!」
僕の叫びが路地裏にこだまする。今宵と一緒に事務所へ帰ろうとした途端、彼女は触手にとらわれて路地から路地へと消えていく。たった一瞬の出来事故に何もできず、文字通り足が出る間もないくらいだったので男は一瞬だけ固まったがすぐに思考回路を復旧させた。
まず手短にクラウスに彼女が何処かに連れ去られたとメッセージを送った後、GPSが機能しているか確かめる。幸いなことに彼女の現在位置を知らせるそれは機能していることは救いだった。
――今回は完全に僕のミスだ。
彼女の「絶対記憶」がもとで、もしライブラの情報が漏れてしまったらこれ以上の惨劇が起こる前に今宵を「処理」しなければならない。事実、ライブラの情報を外に持ち出そうとしたメンバーを何度も僕はそうしている。その僕自身、知ったものをすべて記憶する存在を内部に招き入れる危険性は把握していた――が、今は連れ去った外道が間抜けであるか、彼女が脳抜きされていないことを祈るしかない。否、そう祈りたくなった。
「まったく……!」
彼女のいる場所を指し示すアイコン目指して疾走する。奇怪な道、移動する道、ぬかるむ道を超え、動き続けるアイコンが止まるまで追い続ける。
その時、電子音が鳴った。一度立ち止まり画面の上にある通知欄を見た。
『すまない、別件があってどうしても手が離せないのだ。他の構成員も現在各々の仕事がある。スティーブン、君が頼りだ』
「……なるほどね、彼女を救えるのは僕だけということか」
再び地図を起動させ、GPSの足取りを追う。ある一点の施設でアイコンが止まった。
「そこに行けばいいか。待ってろ」
革靴のひもを結びなおし、目的地に向かって走り出す。その瞬間、無機質な着信音が僕のスマートフォンから響きだした。画面には坂本今宵という文字と彼女の電話番号。祈る気持ちで僕はすぐに電話に出た。
◆
「――まずいな」
通話口からは電話が切れたことを示す音が流れている。今宵と通話できたが、電話口から流れたのは息も絶え絶えな彼女の声と周囲の下劣な笑い声だった。今はまだ無事であることに胸をなでおろしつつも、彼女が今危険な状態であるということが判明した今、僕の足は速く進みたいと云わんばかりに足早になってしまっている。
敵は多数、種族、所持している武器、すべて不明。わかっていることは地図上では廃倉庫であるということだけ。
すぐにGPSが指し示す付近に到着はしたもの僕はとりあえず考え事をするために入り口付近でじっとしていた。
仲間は全員各々の仕事をしているため、救援は見込めない。
だが、こうしている間にも彼女はどんな目に合っているかと考えたら悩む暇も何も、ない。
「まあいいさ、ただ助け出す。今はそれだけ成し遂げればいい」
自分を奮い立たせるように俺は呟く。
そして僕は重苦しい倉庫のドアを音をたてないようにして開けた。
色々なものが密集しているHLでは広い部類に入る廃倉庫。周囲には今まで使われていたであろう機材が壊れたまま置かれている。何に使う機材であったのかは知る由はない。
慎重に、物音を立てないようにして倉庫の中を進む。奥の方にはほのかな光が浮かんでいる。何の音かを探るため息を殺して耳を澄ますと同じ階のどこかから何かが聞こえてきた。
鈍い音、くぐもった女の声、下劣な言葉が彼の耳に入る。
はやる気持ちを抑えつつも何が行われているのかが容易に想像がついてしまう。早くこの場から脱出させなければならない――が、焦ってはいけない。焦って失敗して彼女が死んでしまったら元も子もないからだ。
音がだんだん大きくなる。いつも以上に慎重に、静かに、確実に近づいていく。
――あなたの元に――かえって、みたい、です――
電話ごしに聞いた女の声を思い出す。息も絶え絶えの声で紡いだ言葉が繰り返し俺の頭の中で流れている。
「かえってみたいなんて、そんなことを――いうな」
誰にも聞かれないような声で呟く。そして音の近くの適当な廃材の山に隠れ、様子をうかがおうとした。が――
「――な、なんだよ……」
音の発生元には光があった。適当に見繕ったような小型ランタンが照らしていたのは目を覆いたくなるような、光景だった。
集団で誰かを寄ってたかって暴力の雨を浴びせている。中心地にいる人物のことは考えたくもない。
各々の手には鉄パイプに野球のバット、鞭などと云った凶器が握られている。周囲は血と唾液がスパッタリングの如く床に散らされている。近くにまでたどり着けたゆえか今宵を襲っている人たちの会話も鮮明に聞こえる。じっと耳を澄ませてみた。
「なぁ、ボス。これくらいわからせたら(ぼこしたら)この……今宵とかいうのもきちんと従うでしょう」
「大丈夫、同級生だった私の云うことは背かなかったしアレ。あと私には『オクタヴィア』という
「でもこのジェストカヤ・プラヴダの上には我らの王が……いえ、……そのオクタヴィア殿、お伝えしたいことが……」
「なぁに? 云いたいことがあるんならはやくいって?」
……ジェストカヤ・プラヴダだと? 確か今宵がかつていたマフィアの名前じゃないか。
しかしそのトップがあのオクタヴィアと名乗る女と今宵が同級生……とは。もしかしたら運がよければ今宵から色々と情報などが、どうして彼女自身がそうなってしまったのか等聞けるかもしれない。いや、王とはなんだ? ともかく……そろそろ動くか? いや、暫く様子を見るしかない。そうこうしているうちにスウェットを着た着弱そうな男がぼそぼそと何か彼女に言っている。彼が何か報告し終えたら忍び寄って襲撃するか?
「えーと、その、あの、し……に、た……い……」
「はっきり答えてくれない? 何? 死にたいって」
オクタヴィアはけらけらと笑いながら男の言葉を一蹴した。しかしそれを受けて男はすう、と息を吸い、こちらに響くような声で伝えた。
「侵入者、たった今一人やってきやがりましたが……どうします?」
途端、その場の空気が張り詰める。鈍い音が止み視線が一気にオクタヴィアなる女に向けられた。しかも僕の存在にきづいたのかもしれないとなると既になりふり構っていられない。
静かにクラウチングスタートの体勢に移行する。女は少しだけ考えつつ次出すべき指示を考えているようだ。
突撃するなら――今しかない。
「――そうだね、うん、それじゃあ……」
オクタヴィアが指示を出す前にスタートを切る。距離にしてものの数m。
数名がこちらを向いた。出だしは上々。靴底から血を飛ばし冷気をまとわせ、数多の氷のつぶてを空中に出現させる。
標的は今宵とオクタヴィア以外の面々。この数ならおそらく――いける。
「エスメラルダ式血凍道――
数多の氷を銃弾の如く標的に飛ばす。先鋒と思しき人たちは金属バットで打ち返そうとしたがそのバットが氷に当たった瞬間ぐにゃりと歪んだ。
しかしそれでも彼らは素手で真っすぐやってくる。雄たけびとともに暴走列車のような速度で彼らはこぶしを振り上げた。
「――」
だが、こちらとしては一刻も早くその先へと行かねばならない。そして本当にここがジェストカヤ・プラヴダ絡みの場所であるならば、ここにトップがいるならば色々と知りたいこともある。さて――どうするか。
「死に晒せぇ! リーマァン!」
「エスメラルダ式血凍道――
数多の拳が雨のように降ってくる。傘のかわりに壊れることのない氷の盾を展開。こぶしが氷にぶつかる音が鈍く、ずしんと響いたが氷の盾に傷はない。それどころか氷に触れたこぶしはくっ付き、そこから彼らの体は凍結した。
「質問に答えろ。あの少女――坂本今宵をどうしていた」
「そっちこそ質問に答えろ……何の、ためにここに来た……」
「僕は今宵を迎えにきた。それだけだ」
質問に答えなかった対象を通り過ぎる。一対多勢。実によくあることだ。次の陣、もとい本陣が見える。そこにいる構成員は手に各々の武器を携えていた。たった今、付着した血液がそれらにあって今まで何をしていたのかすら容易に想像がついてしまう。頭は静かに、心は熱く――極限まで怒りは抑えつける。
構成員たちが前に出た。あらゆるものを侮辱するかのようなほほえみを浮かべ、息巻いている。きっと意地でも通さないつもりだろう。
「その少女って……われらのボスのことかい? 口説きにきたのか?」
「何を云っているんだ、君たちの奥にいる少女のことだ」
「奥? 少女? ああ、さっきまでオレたちが拷問がてらサンドバックにしてたアレのことか!」
「引っ張り出す? 引っ張り出す? 嫌がるだろうけど引っ張り出す? ボス?」
そう構成員が云った途端、群衆の中からボス――オクタヴィアと思しき女が現れる。近くで見ると美しいがそれと同時に毒の花を思わせるような雰囲気を醸し出していた。彼女が、恐らくあの今宵と何かあった人物か。
「……あら、初めまして美しい人。私は『オクタヴィア』と申すものでございます」
「アラン、とだけ言っておこう」
「それで……何かこちらに御用でしょうか? こちらに坂本今宵なる女はいらっしゃいませんよ?」
「そうか、でも確かにこのGPSだとここを示していたんだがなぁ。それに君たちの部下、今まで誰を殴ってたんだい? 新しい血がついているようだけど」
「精度が悪くなっているんじゃあありませんか? 血は……裏切者を少し懲らしめておりました」
よくある話でしょう? とオクタヴィアは念を押す。
確かに裏社会の制裁はよくあることであるが、恐らく彼女は嘘をついている。そうでなければあの時の電話ですらないだろうし、電話が切れる間際のあの言葉は恐らく別の言葉を云わせるためにかけさせたのだろう。
「それなら一応見せてくれないか? 本当に違うのかどうか確かめたいのでね」
「……わかったわ」
かつかつ、と女は背を向けて手を挙げる。群がっていた構成員は道を素直に開けた。
作られた道の先には血だまりとよく知っている服を着た女が横たわっている。一瞬の隙が元で招いた果ての結末が、終着点に存在している。
「―――今宵?」
足早に開けられた道をかけていく。血だまりの上の女はうつ伏せのまま手をこちらに伸ばしてきた。生きている。
近づくにつれ、惨劇の名残がはっきりと見えていく。顔は青あざだらけで腫れ上がっている。正直見るに堪えない。服も髪の毛もボロボロでところどころ赤いしみが出来ていた。眼鏡はというと誰かに踏みにじられたのかフレームが変形している。もう使えないだろう。
彼女の傍らに着く。胸はかすかに動いていて呼吸は出来ているらしい。
「あ、すてぃーぶんさん、映画、ありがとうご、ざいます。きゃりーと、ないとみゅーじあむ……。せいさんなふくしゅうげき、そしてふらんすごなまりのえいごの、なぽれお、んが……」
「今宵、今は何も言うな。帰るぞ」
力ない彼女を背負い、立ち上がる。そして振り返り構成員とオクタヴィアをにらみつけた。
「まぎれもなく、今宵だったよ。どうして彼女を攫ったんだ」
「……あぁ、本当にあの不細工なアレを今宵と認識したんだ。いいや、なぜわかったの」
「僕の知人をこんな目に合わせた君たちに話す義理はない」
「まあいいや。それより裏切者というのは本当なんだよ。一応その今宵とかいうの、道具だったんだけど逃げてさぁ」
「そっか、まあいい。もっと話を聞かせてほしいところだがまずは彼女を病院に連れていかなければならないから今日のところは失礼するよ」
「やだよ、荷物下ろしなさい」
先ほどの媚びるような口ぶりから打って変わって淡々とした声でオクタヴィアは言う。なるほど、彼女が道具扱いした元凶か。
であれば――なおさら降ろすわけにはいかない。
「断る。彼女は引き渡さない」
「交渉決裂かぁ、残念だなぁ」
ぷい、と女は僕に背を向けてどこかへと歩いていく。力が抜けたように右手を上げ、背中越しに手を振った。
「じゃあ、無理やりにでも引きはがす。あとは頼んだわ」
各々の言葉で承諾の言葉が出る。それとともに構成員は道を閉ざし、再び僕らに向かって走っていった。
こうなってしまっては仕方ない。
「今宵、少し冷えるぞ」
すう、と息を肺に取り込む。背中の彼女をこんなにもした構成員が血気盛んにやってくる。そう簡単に敵が人質を解放するはずはなく、こうなることはむしろわかり切っていた。
故に――何も対策しないはずはなく、念のための準備はあの道で済ませている。
「エスメラルダ式血凍道――
瞬間、意気揚々と僕たちに向かっていた構成員たちは文字通り凍り付く。微動だに出来るはずもなく、あるのは氷の彫像のような何か。一気に倉庫内が冷えていく。ただでさえ弱っている彼女をここから出さなくては。
「……さて、帰るぞ、今宵」
来た道を引き返し、倉庫から出る。霧の街がやけに眩しく感じた。
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