5-2

 コニーアイランドへ向かう道中にあのようなおしゃれな店があるとは知らなかった。そもそも今まで服飾などに興味がなかったとはいえ巨大なブティックを見過ごすということはあるだろうか? 否、意識の範囲外においていただけかもしれない。様々な素材と色が綺麗に縫製され、それぞれ違った形になっている洋服に袖を通すに値しないと自分自身のことを定義していただけかもしれない――が、ともかく私は現在進行系で今までとは違うベクトルのピンチを迎えている。
「君が、選ぶんだ」
「選ぶといっても――どうやって、なにをどうして選べばいいのでしょうか」
「ああ、そうか。君洋服にあまり興味がないとか前言ってたもんなぁ……」
 
 服の 選び方が わからない。
 
 種類がとても多いゆえにどれがどれでかろうじて上と下と上着がわかる程度でどれをどう組み合わせればいいのかとか、呪文の如き単語、そして正解が定義されていない事象。ずっとこれらのことを知ろうとしなかったつけがここで払うハメになるとは思いもしなかった。これではまるで糸を持たずにミノタウロスの宮殿に入ってそこから出ろと言われているようなものだ。
 かといってどうやって選べばいいとスティーブンさんに聞こうとすれども突き放すように「まずは自分でこれというものを選んだらどうだ?」と告げるだけで私の背後でずっと見ている。イライラとするような素振りすら見せないところが逆に恐ろしい。彼を待たせてはいけない。自分でどうにかわからないなりに選ばねば。
 とりあえず選択する時間を省くためにワンピースがたくさん並んでいるエリアに移動する。制服みたいなものがあればあまり余計なことを考えずにすむが成人男性と制服を着た女性が一緒に並んで遊んでいるのはあらぬ誤解を招き、結果的にスティーブンさんの迷惑になりかねない。更に今私に私服はないからこそ、今ここでこうして短時間で選ぼうとしているのではないか。
 そして遊園地に行く目的はあくまで偵察。悪目立ちしてはいけない上に私がかつて関わっていた組織に対しての偵察故に向こう側がこの私=坂本今宵であることをバレてはいけない。要は「いつもと違う系統の服」かつ「遊園地に相応しい」ものを選ばねばならない。遊園地の光景を思い出そうとしても自分の脳がフリーズするだけなので自分の感性に頼るしか、ない。店員の数は少ない上に全員他のお客さんの対応をしているためサポートすら見込めない。背後の番頭をちらりと見るが彼はニコニコとしているだけだ。
「――どうすれば」
 適当に好きな色を思い出す。――青だ。そうだ、青があればいい。適当に青い服が並べられているゾーンまで早歩きで移動し、適当にハンガーをつかんだ。長袖に淡い青の布地、スカート部分がふわふわひらひらしていて丈が長い。白い薄地で出来た上着もついている。恐る恐る私はこれを持って振り返り、スティーブンさんの様子を伺った。
「あ、あの……」
「なるほどねぇ、今宵はこれがいいのかい?」
 再び私はその服を見つめてみる。よく見ると裾にはなにかフリルらしきものが控えめにあしらわれていて、白い薄地の布はレースだった。果たしてこれが――着られるのか、そしてしっくるくるものであるかはわからない。
「その……着られるかどうか、まだ、わからなくて……」
「それなら試着すればいいんじゃないかな、ほら」
 彼が優しく私の顔を周囲に向けさせる。丁度一人近くの店員さんの手は空いていて試着室は空の状態。ごくりとつばを飲み込んで私は無言で店員さんに近づいた。
「あの……これ、試着しても大丈夫でしょう、か?」
「はい、いいですよー。こちらでどうぞ」
 いけた。
 思いの外あっさりと店員さんに話しかけることができて、試着の申し出が出来た。それが、受け入れられた。
 慌てて彼の方を向くとスティーブンさんは小さくサムズアップしている。私は勢いよく右手で親指を立て、試着室のドアの内側に入室した。
 試着室でジャケットを脱ぐ。正真正銘のごく普通の鏡には私がいる。無数の痣に左腕の切り傷のあと。自分で慰めのためにつけた痕跡はいつも着ている白いシャツにも血痕として存在している。それ以外にも無数の火傷の痕やら薬剤の跡やら打撃のあとがたくさんある。ひどい、からだだ。これじゃあ別の用途としての価値はないだろう。大事に大事に私を使っている人でも手ひどく捨てるに違いない。そもそも別の用途として使われたことがないくせになにを、考えている?
 
 ――この鏡が、煙っていれば、曇っていればよかったのに。
 
 傷だらけの体に優しい彼の手が這う様子を幻視する。長い指が私の肩に触れて傷跡をなぞり、そして――ちがう、使用者をそんなふしだらな気持ちで見ちゃいけない。そうする暇も、ない。
 だがこの後の偵察の時間を考えると悩む時間はない。さっさと着替えてどうなっているのか確かめるのが先だ。青い長袖ワンピースに袖を通し、黒いレースの上着を着る。恐る恐る試着室のドアを開いて彼の前に立つ。いつもと違う服を着ている私は、彼の目にどう映るのだろうか?
「……ど、どうですか?」
 私がそう云った途端、彼の息が飲まれる音がした。
 鈍色の瞳は私を凝視し、一息嘆息。やはり、私には豚に真珠ものだったようだ。急いで試着室へと戻ろうとして踵を返そうとした瞬間、左の手首が掴まれた。節くれだった細い指が、私の手首を握っている。
「――ごめん、今宵。つい見惚れていた。文字通り言葉を失うほどにね」
 にこりとスティーブンさんは優しく微笑む。そして私の手を優しく大きな手で包み込みこんだ。きっとこれはいい選択だったのだろう。心臓に悪い思いをしたが彼がそういうのであればおそらく間違いはないはずだ。
「それで君は、その服に決めたのかい?」
「はい……はい!」
「そっか、それほど気に入ったんだな。よかったよかった」
「あ、はい。今すぐにでもこれを着たままで……というか今からこれを着て行くんですよね?」
「もちろん」
 その前に顔を隠すための帽子も必要だな、と言ってスティーブンさんは店の棚から白地に赤いリボンがあしらわれた帽子を私に差し出した。そしてお代は僕が払うから、と彼は懐から財布を取り出してその服の分の代金を支払った。あっという間に会計が終わり、もともと着ていた服は丁寧に畳まれて手持ちのバッグにしまわれる。店員さんに見送られ、早足で私たちはコニー・アイランドへと向かっていった。着慣れないワンピースにつばのひろい帽子を深く被って抑えつつ、偵察するための精神に切り替える。情報によると合流予定は夜らしい。浮かれず、冷静に。私たちは夢の世界へとたどり着き、チケットともにそこへ足を踏み入れた。

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