6-3

 その後、寝起きのことがなかったかのように平然と朝食を食べて何事もなかったかのようにライブラへと向かった。何事もなく、あいも変わらずの混乱模様。触手と銃撃に巻き込まれないように器用に立ち振舞ながらライブラが入っているビルへと無事到着した。手はずっと繋がれていて、そしてあたたかい。ちょっとしたダンスのようで不謹慎ではあれども少しだけ心が跳ねたのは事実。私はどうやら終始口角が緩みっぱなしだったらしくスティーブンさんから軽くたしなめられてしまった。彼はその後「表情のことで君に注意する日が来るとは思わなかったなあ」とどこか感慨深い表情で呟いた。そのくらい私に感情というものが戻りつつあるのだろう。喜ばしいものかどうか私には分からないが彼にとってはそう呟くくらいであるからきっと喜ばしいものであるのかもしれない。……そもそも、感情というものが存在すること事態喜ばしいものであるという認識は少し首をかしげるものであるが彼がそう思うのなら、きっとそうなのだろう。
 ライブラの事務所にいつも通り入る。そこでいつものように事務作業した後、レオナルドさんとザップさん、ツェッドさんに誘われて昼ごはんを外で食べた。ザップさんが「おまえのその知識が必要なんだヒューマーでも安心して食べられて美味しくて安いところに案内しろしてくれ」と全力土下座して絡みつくように請われたためついていった。正直自信こそなかったが三人とも食べられるものでかつ、美味しくて財布に優しい場所に案内できたようだったらしくすごくとても固い握手をされた。
「ありがどうございまず……! 坂本さんがいなかったらまだ昼飯を訪ねて三千里するところでした……!」
「……あ、ど、どういたしまして……?」
「ぼごっでいいぞごれば……! 陰毛がぞういうっでるからそのとてもいい胸を張っで……」
「すみません兄弟子が……本当に流れるようなセクハラ、素直に引きます」
 いつも通りの日常、いつも通りのわいわい。自分の異能の以外な活用。ここはとても暖かいからこそ、離れるのがとても惜しい。3日後にはお別れしなければならないからだ。過去は打ち明けてもこれからのことはまだ、話していない。ズキリと心臓が何に刺されたような感じがした。
「いえ、大丈夫です。気にしてません」
 口角を精一杯上げて、俗に言う笑顔で対応する。
 私が今できることと言えば、これくらいだった。

「……すみません、今宵さん。時間すこしありますか?」
「時間、はい、大丈夫です」
 昼ごはんを食べてライブラの事務所に戻った後、レオナルドに呼び止められた。他の二人はいつものようにいがみ合いながら何処かへ飛んでいったのを見届けた後私は彼の問いかけに首を縦にふった。事務所にはクラウスさんとスティーブンさんとKKさんが書類を囲んで話し合いをしているため私達は事務所にある遊戯室へと移動した。
 ビリヤード台を間に挟み、レオナルドは徐ろに口を開く。
「ありがとうございます。その……最近の今宵さん、いや昼ごはん食べてるときの貴方がとてもこう、どこか危なっかしい感じがしまして」
「危なっかしい、ですか。私はそういうふうに見えてましたか……」
「まあ、はい。あのレストランでコーヒーを口の端からこぼしながらうつろな目で上を見上げていたので……」
「……ああ、あれ、見られてましたか……。醜い姿を見せてごめんなさいレオナルドさん」
「いえいえ大丈夫ですよ! いや、なんかこう……そういうときもあるんだなーと思いましたがでもこう……なんというか……」
 もごもごとレオナルドが言葉を濁しながら天井を仰ぐ。小さな声で「よし……」と呟いた後私の方へ向き直り彼は口を開いた。
「その……すみません単刀直入にいいます。あなた、なにかとんでもない隠し事をしてます……よね?」
「……隠し事は、ありません」
「そうですか、それならいいのですが……これはクラウスさんから言われたことなんですけど、困ったことがあれば手段を問わず連絡してください。僕たちに迷惑がかかる、なんてことは考えないでください。絶対です」
「迷惑……」
「そうです。実際僕も……そういうことがありましたが大丈夫です。困ったときは僕たちがいますから」
 数秒の沈黙。
 その後彼は自分が切り出したことに耐えきれなくなったのか「あ、なんかすみません!」と直角より深いお辞儀をして詫びた。
「あ、だ、だだだだだ大丈夫ですよレオナルドさん! 顔あげてください!」
「いえ! なんかこう……なんかアレだったんです! ふいんき……雰囲気といいますか、ちょっと耐えきれなくて!」
「気にしないでください……!」
「あ、はい……」
 がばりと起床するようにレオナルドは頭を上げる。そして私に念押しするかのように「困ったら絶対に連絡してくださいね!」と言ったあと一緒に遊戯室から退出した。

 事務所に戻り、いつも通りの話し合いをして、どうにか終わる。望まれるままに情報を提供して、望まれるがままに受け答えをして情報のすり合わせ。ライブラの人たちが無事に帰ってくるのを祈りながら書類を整理しつつ、いつか提示しなければならない情報について日記にまとめあげる。何度か他の事務員さんやギルベルトさんと一緒に待機しながら色々なことを綴ってみることにした。今日あったこと、些細な出来事。そして―――スティーブンさんに以前言われたこと。一応あの朝書き溜めたメモを見せたがそれでも情報流出の懸念がある以上もっとも重要なことはアナログへ記すことに限るだろう。私の口述だけでは誰も動かない。そのことは――酷く、この身を以て痛感している。ただしゃべるだけでは証拠たり得ない。もっとも日記にしようとしてもきちんとこれが「日記」であるという証拠を残さなければ意味はない。故にあのメモを渡されたときからこの電子媒体より隔離されたノートに日々を書きとめる必要があった。そのときにあのときスティーブンさんへ見せたメモと同じような内容をここに入れたり、決して言えないこともここに書けばいい。日々の記録に紛れさせて。
 ぱらぱらとページを捲ると所々円形状によれた跡。書いている途中に止まらなくて、気づいたら何か濡れていて、よくわからなかったが今なら多分分かる。きっと『感情』を出力していたのだろう。偶に血の跡もあった。これはきっとこれからも消えることは無いかもしれない。誰にも見られることはないかもしれないが、見られるとすれば証拠物品としてだろう。これを見た人がどう感想を抱くかはわからない。ただの日常に紛れさせた痛みの吐露に同情する人もいないかもしれない。
 さらさらと一番新しいページに今朝のことを書き込む。記憶王の来訪、異能、約定。いざというときは燃やせばいいがそうならないことを祈るしか無い。その上で、誰かが目を通すことを願うのみ。そして最後に『今までありがとうございました』の文章も付け加えた。先程レオナルドから言われたことも頭によぎるが―――それでも、彼らに迷惑はかけられない。
 ノートを閉じて懐にしまう。私の肌から離れるとすれば―――私がここライブラを離れるときだ。3日後にはかならずそうしなければならないため。そのためのアナログ媒体であり、遺書でもある。これが私が出来るせめてのことだった。

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