朝を告げるアラームが鳴り響く。冷たい床の感触はなく、とてもふかふかの布団がそこにはあった。
横を向くとそこにはスティーブンさんが仕事をするときと同じような顔をして立っている。口元だけは笑っているが目元は違う。思い当たるフシは――きっと昨夜の通話のことだろうか。恐らくバレてしまったのだろうか?
「今宵、おはよう」
ぬ、と彼は私に手を差し出した。どうやらこの手を取れというのだろう。私はおずおずと右手で彼の手をとって挨拶を返した。
「お、おはようござい、ます……」
「うん、反応は問題ないね。昨夜なにかあったようだけど……大丈夫かい?」
ほら、とスティーブンさんは空いている手で私の首筋を撫でた。彼の手が私の首の跡に、触れている。私の首は首をしめられていたあとが残っているようで、隠し立てすらできるはずが、ない。私は彼に、隠し事をたくさんしていたから。
「昨夜物音がしたら床で寝ていた君を見つけた。だからまあ……ここまで運んだ。それ以外僕はなにも、していない」
「……すみません。今度からきちんとソファで眠るようにします」
「まぁ、それはいいんだ。でも……この首筋の跡は何があった? クリスマスリースを首にかけて遊んでいた……わけないよな」
正直に話すんだ、と重く低い声で告げられる。
――きっと、ここはきちんと話さなければならない場面だ。首筋の跡については既に見られている上に、物音まで聞かれていた。ここまで彼が把握しているのであればおそらく下手に隠し立てをしたところでどうにかなる状況ではない。しかし、彼――記憶王は神出鬼没でいつどこで何を見ているかすらわからない。どこまでスティーブンさんが知っているかわからないから、自分の情報をどのくらい共有していいのか――わからない。そうこうしているとスマートフォンに着信が来た。ショートメール形式だ。彼の方をおそるおそる見ると彼はいつの間にかスマホを持っている。そしてっ目線で私のスマホの方に目をやったのでゆっくりとスマホに手を伸ばした。繋がった手は流石に離れている。
通知アイコンが表示されているショートメールのアプリを開く。スティーブンさんと書かれた欄を開いて私は文章を確認した。
『一応念のためこの形式で質問する。まずひとつ、首の跡は自分でつけたものか?』
目を見開いて、文章を読む。それと見比べるように寝台の傍らにいるスティーブンさんに目を向けるが彼は眉一つ動かさない。
――ここで嘘をついて自分でつけたといったら彼にあの紐が迫ることはまずないかもしれないが嘘がバレたときのリスクが計り知れない。更に血界の眷属についての情報を出し渋る上に彼ら――ライブラへの協力を拒んだということに捉えかねない。
正直に話せば――あの血界の眷属並びにあのオークション絡みについての重要情報がライブラへ渡ることになる。これによりジェストカヤ・プラヴダは遠からずとも壊滅するだろう。しかしいつどこで彼が私を監視しているか分からない。スティーブンさんはおろか他のライブラの人たちに迷惑をかけることになる。
私と彼の間にあるものは無音のみ。彼に質問するというのはどうだろうか? いや、だめだ。……どう話そうとしても、いい言葉が見つからない上にきちんと伝わるかわからない。そもそも――困ったときに誰かに相談したところで事態が好転するはずがない。画面上に浮かんでいる彼の問にわたしはフリック入力で解答した。
『首の跡は元からあるものです』
震える指で送信ボタンを押す。メッセージの横にチェックマークが2つ付いた後メッセージが帰って来た。
『正直に話すんだ。それが嘘であることはわかっている』
『昨晩僕は君が襲われているところを目撃した。そしてその犯人が血界の眷属であることもわかっている。気がかりなことでもなんでもいいから少しでも、情報がほしい』
――ああ、見られていたんだ。
そして犯人の特徴もわかっているなんて。鏡を使って見分けていたのかもしれないし彼が日頃持ち歩いていてもおかしくはない。かといって――正直に話したくても本当によくなるかわからないし、彼にこれ以上迷惑をかけたくない。けど話さないと彼らに迷惑をかけることになる。
フリックする手が、うごかない。じぶんがなにをすべきか わからない。スティーブンさんの顔をみる。相変わらず顔色は変わっていない――が、どこか私を観察するような、どこか陰りがあるような目をしていた。
『迷惑をかけたくない、なんてことは考えないでほしい。だいたいのことは慣れている。だからこそ僕たちを、僕を頼って欲しい』
メッセージが流れていく。わからない。たよるといわれてもそれがえいぞくつづくかすら、わからない。ノイズがはしる。頭の警報がけたたましく鳴り響く。脳内押し留めていたモノたちが溢れ出していく。しこうが、うでが、こえが、わからない。かちりとなにかがきりかわる。
にんしきが ぬりつぶされていく――。
◆
頼れるものは、なにもない。私は今までの経験でそう結論づけている。無論彼に出会ったあとでもそれはかわらない。
眼の前にいるのは誰だ――それは勿論――である。
彼はなにを◆◆て◆◆――いや、ちがう。ちがうちがう!
「――――――――――――――!」
誰かに頼っていいことはあったか:Нет
誰かに頼った結果悲惨な結果になったことはあるか:Да
結論が算出されると同時に目の前の彼が誰かに重なった。
こっちにくるまえにあったできごと。いけにえの日々の中で唯一の光だったクラスメイト。
口では力になるから話してくれといいながら―――わたしのすがたでゆえつしていた黒幕。
もうにどと、あやまちはくりかえさないといいながら―――わたしはくりかえそうとしている。
のどがいたい、腕が動く。スマートフォンをベッドの上において――――――にげなきゃ。にげなきゃ。にげなきゃ。にげられない。
「やめて、やめてください、八角さん――もう、やだ、やめてください――!」
誰かの腕をふりはらう。痛い。重い、動かない。どうして誰かの顔がちかくにあるの。うごけない。さけばなきゃさけんでもどうにもならない。なにかめのまえのひとはいってるけどなにをいっているのだろう。おこっている。なにかどなってるけど、くちのうごきからもよみとれない。じっとしてよう。そうしよう。それにしても、うでがおもい。――――――――――――――いたい。
「おうさま、記憶王様泣いてごめんなさい、痛いとかいってごめんなさい私は不出来です不出来でごめんなさい」
にぶいいたみはなく、ただだれかがわたしにむかって叫んでいる。なんのためにさけんでいるのかわかればいいが、きこえてないからこたえられない。
するするとおとがしてするどいいたいが私の腕にはしった。誰かがわたしのうでをまくっている。そこでやっとりかいした。うでがおもかったのは、わたしをベッドの上に押し倒していたからだったらしい。わたしの腕に彼がなにか、なでていることだけは――腕、そうだ――私の、うでだ。傷だらけのうで、みられているんだ今――!
「やだ……やめて……うで、みないで……!」
懇願は届かず、彼はまじまじと腕を見つめていてなにかいっている。なにも、聞こえない。するすると衣擦れの音がする。私の袖が元通りになった音だった。それと同時に私を襲った焦燥感が一気にひいていく。対象を正しく認識できるようになり、ようやく私が置かれていた状況を認識できた。
「……今宵、今宵、聞こえてるか?」
「…………はい、聞こえてます。先程はお見苦しいところをみせてしまい申し訳ございませんでした。それと……偽証、嘘の証言については……」
「脅されている、そうだろう? さっきの君の様子を見れば想像はつく」
まぁ、流石に偽証は良くないことだけど。
そうスティーブンさんがいった後で私から拘束していた両腕を放した。その腕は私の後ろに回り込みゆっくりとベッドから起こすように私を促す。そうされるまま私はゆっくりと起床し、全体をとらえるように目の焦点を合わせていく。
「それでも、きちんと僕に話してほしい。君に何があったのかを僕は知りたいんだ」
彼は私の両肩に手をおき私の目を見据えて要求する。しっかりとした声色で、かといって険しい顔ではなくあくまでいつも通りの笑顔。
「そろそろ話してくれないか。君が抱えているものを、そして君が知っていることを」
ささやくようにして彼は言う。布越しに彼のぬくもりが伝わってくる。さっきの偽証の償いは、今しなければならない。
「―――わたし……」
ゆっくりと脳内で言葉を取捨選択しながら声に出していく。言うべきことは、わかっている。それなのに声がつっかえてでてこない。
過去のこと、傷のこと、私を襲った男のこと、今までのこと。脳内がぐちゃぐちゃになって言葉が成立しそうにない。
「わた、しは―――」
「口頭だと難しいかい?」
「……そんなことない、です。きちんと言えますから」
「本当にきちんと言えるかい? 話してほしいとはいったけど口頭で言えとはいってないぞ僕は」
ほら、とスティーブンさんは肩から手を放して私にスマホをもたせた。
「口で言えないのなら文章という手があるじゃないか」
手渡されたスマートフォンの画面に目を向ける。ほぼ新品と変わらないホーム画面に震える指でタップする。メモ帳アプリを起動し、いつしかずっと送ろうと迷っていた私の「過去」そして今私が直面している問題――ジェストカヤ・プラヴダに関する文章を急いで入力した。
「……こうやって画面上で提示する形になってしまい申し訳ありません……そして、ずっと黙っていて申し訳ありませんでした……!」
目を瞑り、彼にうやうやしくスマートフォンを差し出す。金属の板が私の手から離れていった。
呼吸音、唸り声、相槌、操作音。
それらが止んだとき、私の手に再びスマートフォンが握られた。
「顔をあげて目を開いてくれ、今宵」
「スティーブン、さん」
「―――よく、打ち明けてくれたね。ありがとう」
彼の手が、私の頬に触れられた。息がかかるほどに近く、癖っ毛と黒目がよく見える。柔らかい声色を聞いた途端、張り詰めたものが一気に緩んで―――彼の手を濡らしてしまった。彼はただそれを黙って拭ってくれたのだった。
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