HLPDの資料室の一角にてダニエル・ロウ警部補は一つの封筒を手に取る。ぶつぶつと何かを言いながら男はそれを抱えて自分のデスクへと戻っていった。がさごそと少し乱雑に封筒から書類を取り出し眉間にしわを寄せ始める。文章に視線を向けながら唸り、舌打ちを何度もしたり、ぎりと唇を噛むなどという百面相をしながら彼は悪態をついていた。
「――ったく、あんなくそったれな計画が水面下で続いてたとはよぉ……」
「なんですか? くそったれな計画って」
「くそったれな計画ってのはな……ってなぜ後ろに立っているんだお前は!」
慌てて男は後ろを振り返る。そこには満面の笑みを浮かべ、汚れとシワのないスーツに身を包んだ警察官が立っていた。
「いやぁ、ロウ警部補の働き並びに動きを見て盗んで勉強するためですよ」
「あー……そんな間近で見なくてもいいだろ。つかお前なんでいるんだ……?」
「警部補のお手伝い待機するためです!」
これ以上無いほど輝かせた目を浮かべながら警官はダニエル・ロウに敬礼をする。警部補はその調子に封筒を落としかけるがなんとか書類が地に落ちるのを阻止した。
背後にて待ち構えていたはつらつとしている新人警官に調子を狂わされるも、警部補は頭を抱え唸りながら新人警官に指示を出す。
「人手は足りている。それに今回のヤマはかなり危険だからこそ協力要請を他のところに出している。だからお前は市民の平和を守るために元の立場に戻れ」
「えーいやです警部補。非忘却記憶という禁じられた夢の技術潰しの現場に立ち会わせてくれないなんて」
へらへらと友人と世間話をするかのように警官は警部補に訴える。それを聞いたロウ警部補の顔から血の気が引き、握りこぶしを震わせた。それを見た警官は一歩後ずさる。
「危険ってレベルじゃ……おい、その情報をどこで手に入れやがった盗み見たのか!?」
「盗み見なんてそんなー、ちょっとダークなサイドウェブの噂話とかHLPD内のひそひそ話を聞いたりして照らし合わせただけですよ」
「……情報管理はどうなっていやがる署内は。しかたない。まあ概ねそんなところだ。後絶対にこれ以上漏らすな」
「わかりましたー警部補! そんで、どうして非忘却記憶が禁止されてるんですか? 忘れることが出来ないってとても素敵なことなのに」
「―――おい、本気でそう思っているのか?」
「ええ、はい。だって重要なことを忘れずに済んだり色々なことを覚えていると何かしら便利ということが多いじゃないですか」
警官は手を合わせつつ今言っていることが欲しいものであるかのように答えた。
途端、ダニエル・ロウは握りこぶしを自分の机の上に強く打ち付けた。どん、という鈍い音が部屋に響き渡る。警官はぽかんとした顔でロウ警部補に視線を改めて向けた。
「……すみません、その、僕、なにか非常にまずいことを言いましたか?」
「ああ、いったぞ。非常にまずいことをいったぞてめぇは。なぜ忘却というものを消し去る手術が協定で禁止されているかわかるか!?」
「……忘却という罪から目を背けるためでしょうか警部補」
「違う! 機密情報保持の観点、敵に有利な情報を確保しようとする諸々の組織の争い防止のためもあるが――一番の理由は無辜の市民の笑顔を消し去りかねないことだからだ。確かになかったことにするのは良くないが――いや、警察の俺がいってはいけねぇことかもしれねぇが……忘れることが救いになることもある。その救いを潰すということは過去の傷が塞がらないということになんだよ!」
「つまり……何かしらの強いトラウマ持ちの人から忘却を奪うとそのトラウマを薄めることすら非常に難しくなる、ということ……ですか?」
「ああ、そうだ。最悪それでランボーのようになりかねん場合もある。みたことあるか? ランボー」
「は、はい! みたことあります。アクションものかと思ったのですが想像以上に重いというか……戦争から帰ってきた兵士がフラッシュバックによって暴れまわる様は……いたたまれないといいますか……」
「……ああ、そうだ。だがこの場合トラウマは戦争とは限らん。パワハラ、深刻な失敗、社会からの疎外感――いじめ、なんでもいい。人によるが最悪の場合脳内に染み付いた悪い思い出に襲われて街中を荒らし回るなんてこともある。なんならこの前のHLじゃあ深刻なパワハラを受けた人間が突如HLに現れた後かつて自分が使ってた道具を手にして酷くバーを荒らしやがったからな……現に死人も出た」
「それで……その人はどうなりましたか?」
「……死んださ。そしてその遺体を異界の手術に詳しい専門家が彼を解剖にかけたらその違法な手術痕――非忘却手術の痕跡が見つかった。脳を抜かれて情報が漏れては大惨事になりかねんという判断で……荼毘に伏しざるを……得なかった」
ダニエル・ロウはふうとため息を付きながら振り返る。それを聞いた警官は先程自分が吐いた失言を悔やみ、拳を握り直して自分の思考回路の短絡さを悔いた。
「そ、そのようなことが……先程は何も考えずに、申し訳ありませんでした……」
「いいんだ、わかれば。まああんなことは二度とゴメンだ……だからこそ、今こうして協力先の報告を待っているところだ。流石に魔導やら異界やらソッチ方面じゃ警察のやることは限られちまうからな」
「なるほど、わかりました。それで……一つ質問なのですがよろしいでしょうか警部補」
「ああ、なんだ言ってみろ」
「……その、手術の副作用の緩和や精神方面に支障をきたすことがなくなるとか、手術したことをなかったことにするといった方法は開発などされたのでしょうか?」
「入ってる情報だと……とっくに開発中止になりやがった。一度その施術を試みた医師がいたようだが揃いも揃ってお手上げだ。記憶が全部吹き飛んじまったからな。あのライゼスの医師でも『無理にやろうとするのは危険』とお手上げ状態で現状は詰み、というところだ……」
くそったれ、と警部補は吐き捨てて手元の書類を握りしめる。警官はただ目線をしたに向けることしか出来なかった。
「……本当に、施された犠牲者が救われる道はあるのでしょうか……」
「それこそ、折り合いつけて生きるしかねぇよ……あんなのは実行したやつを決して野放しにしちゃあいけねぇよ」
警部補は握りしめたものとは別の書類を封筒にしまう。途端彼のスマートフォンの無機質な通知音が鳴り響いた。
「ったく……誰だ……はぁ!?」
「ロウ警部補どうしましたか!?」
「……やっとか、尻尾が見えたぞ……! たった今協力者から情報を得た。こうしちゃあいられねぇ後は頼んだ!」
そう言ってロウ警部補はトレンチコートを纏い部屋を後にする。残された警官は一人でただ豆鉄砲を食らったかのように突っ立っていることしか出来なかった。
「協力者って……なんなんですかね。オークション騒ぎのときにやってきたようなおっかないのがくるのでしょうか。教えてくださいよ……」
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