5-4

  天空の密室に二人きり。窓には宝石を散らしたような輝き。
 そして――正面には、スティーブンさんがいる。
 少し癖のある短い黒髪に左目の横に走る傷跡、グレーのスーツをまとった伊達男はいつもと変わらない柔和な笑みで窓の外を眺めている。朝と夜、いつも彼の部屋にて二人きりでいることが多いはずではあるが今回はどうも何をすべきか出力できそうにない。彼に何を言われても、いわゆる模範解答と呼べる返答は難しいだろう。
 そして極めつけは、この無言空間。風景を鑑賞している彼の邪魔をするわけにもいかない上に、何を話せばいいのかわからない。何を話してもその話を続けるだけの技能はなく、なにより――彼の機嫌を損ねてはいけない。其れならば私はただ、黙ればいいだけだ。とりあえず私もスティーブンさんに倣い適当にゴンドラの窓から天上の光景を見る。
 霧の中であろうともヘルサレムズ・ロットの光たちは煌々としていて、まるで地上に星が舞い降りてきたみたい。ちかちか、ぎらぎらとしていて写真で見るよりずっと綺麗。
「ああ――なんて」
 ゴンドラは最高点に到達し、光が小さくなって色とりどりの天の川になる。私達がいる街がミニチュアのように見えた。
「――綺麗、なの」
 聞こえないようにつぶやいてみる。途端、ゴンドラが突然止まりお客様トラブル対応のため停止アナウンスが流れ出した。天に近い場所で、二人きり。恐る恐る私は彼の方に向き直る。どうやら彼は風景鑑賞を私より前にやめていたらしく長い脚を少し弄ぶようにして座っていた。
「喜んでもらえて僕は嬉しいよ。本当に綺麗だよなぁ夜景って」
「ええ……闇の中に沢山の色々な光があって、私は大好きです」
「わかるぞ。それに昼と夜、光の具合によってこんなにも違う顔を見せるというのもまた魅力的だよなぁ」
「はい、きっと今俯瞰している風景も昼だったら混沌なミニチュアに見えるかもしれませんがそれもまた、面白いかも……しれません」
 そのときだった。彼の口からふふという笑い声が聞こえた。見ると上品に口角を上げ、少なくとも嘲笑するような目つきはしていない。それでもどこか私がなにかしたかもしれないという疑念はぬぐえない。そう思ったとき、既に口が開いた。
「あの、なんかその、ごめんなさい」
「いや、こっちこそごめん。今宵もそういう表情もするんだなって」
「……その、それはどういう……」
「感心したんだ。子供のように喜んだりする顔が出来るんだなって」
「喜ぶ、ですか。私がまさかそんな顔をしているはずがありませんよ」
 自分で確かめるべく口角の両端に触れてみる。
 普段ある位置より、たしかに私の口角は上にあった。
「――」
「今宵、君は生きていて、感情があるんだ。今宵はそれでいい。そのままでいいんだ」
「――そのまま、ですか」
「ああ、そのままで、今のまま感情を出す方がいい。前いたところだとそうもいかなかったかもしれないが……君の居場所はここなんだ」
「私の、居場所――前の、場所……」
 ブザーが鳴り、お客様トラブルの対応が終わったことを告げるアナウンスが鳴り響く。その後何事もなかったかのように観覧車はゆっくりと回り始めた。電飾の海が近くなってきて、もうすぐ夢が終わりそうだ。
「そうだ、今いる場所が君の居場所だ。そして俺は――君の力になりたい」
 す、と彼の手が私の左手に触れている。細長くも節くれだっている指が私の手を包んでいる。
 その私の手を取っているスティーブンさんの黒い目は力強い。冷たい技を放つが、今私に触れている男はどこか感じたことのない春の日だまりのような何かを、感じた。
「だからどうか――話してくれないか。君に何があったのかを。それがとても、重要なんだ」
「じゅう、よう」
「そうだ、君の持っている情報があれば――僕たちは君を取り巻く事象を解決できるかもしれないんだ」
「――」
 数秒、膠着。
 自分の傷跡を見せたら彼とライブラはあのレクス・メモリアエ――記憶王と名乗る存在と対峙してオークションにも躊躇いなく乗り込んで阻止しようとするかもしれない。それどころか私のような道具を生み出すことを止めようとするだろう。
 しかし――私は、その肝心なレクス・メモリアエについてはほんの少ししか情報が、ないのだ。そしてあの場所のことについて冷静に話せそうに、ない。
 でも、今目の前には蜘蛛の糸がたれている。
 幾度縋ろうとも縋れなかったものが目の前に、ある。
 きっとコレが最期の機会なのだろう。やさしいひとのために、せめてもの恩返しを――否、彼に、縋りたくなったがゆえに、糸をつかもう。
「――わかりました。帰ってからでも、大丈夫ですか?」
「ありがとう、それで大丈夫だ」
 彼がそう返事した途端、ゴンドラのドアが開く。たった一時のデートから私達は彼の自宅へと歩いていった。

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