ラジオが夜を告げると同時にライブラの人たちが帰ってきた。流石に時間が時間だったからかKKさんは直接家に帰ったらしくここに帰っては来なかった。帰ってきた人たちの中にはライブラでやるべきことを終えてから事務所をあとにする人もいた。私はスティーブンさんと一緒に残り、最後から3番目辺りに一緒に帰った。
夜の風が心地よくヘルサレムズ・ロットをかけていく。逸れないようにと手を握られているが手から手に伝わる体温がじわりと染みてきている。手のひら同士を組み合わせているだけの行為であるが……ただそれだけの行為に心が浮いているのは否定できない。
「ずっと、こうだったらいいのに」
「どうした?」
「……なんでもありません。気にしないでください」
「そっぽ向いてちゃわからないぞ。ほら、何を言ったんだ?」
ぎゅ、と手のひらに力が感じられる。見上げるといつものように黒いくせ毛の隙間から柔らかい鳶色が覗いていた。
「……本当に、何でもありません」
「嘘は良くないぞ。ずっとこうしていたいとか言ってたよな? 今宵」
……聞かれていた。至近距離でも小声なら問題ないと認識していた私が馬鹿だった。変わらずに笑みを浮かべているスティーブンさんがほんの少しだけ怖い。嘘を言っても一切顔を変えていないのだから。
「……すみません、聞こえてないだろうと思ってました」
「正直でよろしい」
手を握られる力はそのままに、いつも通りの珍妙奇天烈な街を歩く。霧煙る夜、様々な文字、ヘルサレムズ・ロットの外にある野球チームの花形ポスターに色々な人類と異界人。そのままの光景が転写されて、積み上がるようにわたしの脳に刻まれていく。
そして……また絶えず記憶は再生される。初めてあったときのこと、不可抗力で攫われて助けに来てもらったときのこと、観覧車に乗った時のこと。例え事件の解決のための道具であったとしても……ずっと彼の隣を歩きたいのは紛れもない事実だろう。言葉を交わさぬまま、彼と歩く。ただそれだけでもいい。いいのだった。
「今宵」
「スティーブンさん?」
「君、まだ隠し事をしているだろう?」
「……」
「伝えてないことがあるだろう? 今宵とずっといるからまぁなんとなく察しはつく」
「そんなもの、いえ、伝えたくないことは――」
「ある、まだあの夜の来訪者のこと話してもらってないぞ僕は」
「―――あれで、全部です」
「一体何を約束されたのかは知らないがちゃんと帰ったら話すように。媒体問わず正直に伝えることを俺としてはおすすめする」
否定は許されない。偽証も許されない。隠蔽も決して許されない。
そう彼は天気について話すように云う。私には選択肢は残されていないらしく彼の声色には僅かな凄みがあった。何度も何度も彼に対して伝えるべき事柄を隠していたことから今こうして帰ったら話せと言われている。
事実、雇用主であるスティーブンさんに対して虚偽並びに隠蔽をずっと行っていたつけがここでやってきた。ただそれだけのことだ。因果応報である。彼の仕事のこともあるが……怖い。実際に彼がどうなるか怖い。あの記憶王に逆らえるはずが、ない。根拠こそないが勝算があるかという問に本能が「否」と叫んでいる。
抗うな、黙して従え。やり過ごしたいならそうする他ない。
「まあ、本当に全部ならそれでいい。ちょっと詳しく聞きたいけどいいかい?」
「……はい。大丈夫、です」
少しでもマシな選択肢を選び表に出す。それに満足したのか彼はただ黙って頷いた。
◇
「ただいま」
誰もいない部屋に私達は帰還する。簡易的に手洗いうがいを済ませたあと、スティーブンさんは慣れた手付きで私の手の自由を奪いフカフカのリビングのベッドに拘束した。息がかかるほどの至近距離。その息が何故か白く見えているのは気の所為だと思いたい。
「―――で、実際のところどうなんだ」
なにも/話せ/ない/
「なにかあの血界の眷属と約束を交わされたのか?」
是。ただしそのことを表に出すことは許されない。肯定もせず否定もせず、ただ口を真一文字に結ぶのみ。心なしか空気がひやりとしてきた。
「……交わしたとしても、何も話せないよな、うん」
空気の冷たさが和らいでくる。手首の重みも少しだけ軽くなった気がした。
「ただ、これは君の――いいや、君が抱えているものは世界がかかっている可能性がある。ずっと抱えていたい事柄かもしれないが早めに、いいやすぐ情報を開示してほしい」
「……本当に、もしもの話になりますがその情報を持っていたとして開示しなかったら私はどうなりますか?」
「知らないことをおすすめする。いいや、知っていても想像しないほうがいい」
しらないこと、想像してはいけないこと。
私がされたことよりよほど酷いことなのだろうか。わからない。まあでも、どうでもいい。
だが―――なぜ彼は、そこまでして私に情報を開示しようと要求する? 想像しないほうがいいことを行使して情報を抽出すればすぐに済んでしまう話だ。腑に、落ちない。
「その、スティーブンさん。どうしてですか」
「なにがだい」
「なぜ、その……想像しないほうがいいことをやらないのですか」
「―――」
男の息が、止まる。
手首の拘束がまた強くなる。
一気に部屋の空気が文字通り下がっていく。まるでそれは――あのときの、崩落直前の紐育のようだった。
天井を捉えるように私を拘束している男の顔を見る。口元は珍しく震えていて、目は伏せている。そのカオから何を思っているのか、わからない。ただ、彼のそのようなカオを見るのは初めてだった。
白い息を吐きながら彼の顔が一気に近づく。耳元に息がかかるくらいになったところで彼は口を開いた。
「―――世界の均衡を守るためだ。今宵は拒むだろうし、君は君自身を除くかもしれないが俺―――僕は、それを決して許さない」
ときが、とまる。わたしは わたしをのけることを ゆるされない。
「よく聞くんだ、今宵。僕の中の世界の均衡には君が入っている。どれだけ部外者が君を除けようとも、君自身が除けようとも僕は君の手を引っ張っていくつもりだ。たとえ君がいやいや言おうとも――君が、ナイフやら毒薬やら銃やらライターを持っていようとも俺はそうする」
手が、更に強く握られる。冬のような部屋だからか接触部だけ暖かく感じた。
彼の世界の中には私が、在る。――――それだけでも、私は、みたされたようなかんじがした。
故に―――彼に縋りたいけどすがれない。うれしいはずなのに、誰かにそう思われている時点で、こわい。瞬く間に崩れそうで、裏では取り繕うための行為をしているだけに、無理だ。踏み出せばいいだけの話ではあるが、踏み出すことすら私の足元が何かに掴まれている時点で叶わない。
「―――――――」
「だからどうか、手を伸ばしてくれ。話してくれ。打ち明けてくれ。あの夜何があったのかを」
「わ、わかり、ました。スティーブンさん。でも……口頭で言葉にできそうに、ありません。ごめんなさい。のーと、とってきます」
だが―――かれのことは、裏切りたくない。
賢明に言葉を脳内で選び、口からゆっくりと出力する。手首にかけられている拘束が解けたことを確認した後にノートを取りに行くべくその場を離れた。
しかしノートがあるはずの部屋を探しても見当たらない。頭の中が真っ白になって自分のブレザーの中を漁ったらその隠しポケットの中に入れてあった。あのときスティーブンさんにもらったいざというときのためのノート。言えないこと、言葉にするのが難しいこと。そして――あの夜のことと私が持っている残酷な真実についての情報、またそのドンについて知りうる限りは全部書きだしている。電子だと復元されかねない上に情報を抜き取られる可能性があるからこそ、このアナログ媒体に記すしかなかった。
ノートを開いてさらさらと最後のページに彼へ伝えたいことを、書く。本来口頭で云うべきことをいえないという臆病さは取り除きようがなかったらしい。
「どうか、どうか――選択肢はこれしかなかったことをお許しください」
そう心のなかで呟いたあと彼の元へ戻る。勢いよく彼に遺書を突き出した。
「ああ、ありがとう。……ノート、使って……」
彼の言葉を全て聞かないうちにくるりと回れ右をして、その場から脱兎のように飛び出す。ブレザーの裾に彼の手が掠め少しだけよろけたが無事にドアへとたどり着いた。
「コ……コヨイ! 待て!待つんだ!!」
勢いよくドアを開けてまっすぐアパートメントの出口へと駆ける。スマートフォンの電源並びにGPSはオンにして夜の街へと飛び込んでいった。私の名を呼ぶ彼の声が遠くなっていく。コヨイ、コヨイ、コヨイ。思わず足を止めて声のする方へ振り返ろうとしたが振り向いたら一気に首を締められるような感じがしたので振り返ることはできなかった。
人混みへと沈み、できる限り遠くへ、遠くへと進む。常に彼の声は後ろから聞こえていて応じたら後ろ髪をひかれる気がして怖くなった。
あのときと同じ道をたどりながらコニー・アイランドの観覧車にたどり着く。一緒に乗って景色を楽しんだスティーブンさんはそばにいない。待ち合わせの時間になるまでぼんやりと行く人達を眺めていると変わらずにカップルや大切な人たちと一緒に楽しんでいる人や異界人がたくさんいた。どれだけ手を伸ばしても届かないショーウィンドウのような光景に、私とスティーブンさんがいたら……否、不相応なものを欲しがってもどうしようもないのはよくわかっている。
スマートフォンには通知がたくさん。通知の主はほぼライブラの人たちからだった。通知を消そうとメッセージアプリに指を伸ばすが、ここでメッセージを見てもしかたない上にありもしない糸にすがりそうになるおそれがあるため起動しなかった。
「きちんと来て偉いな、坂本今宵」
途端、首筋に衝撃が走る。そして――視界が、暗転し意識がぼやけた。
第六章 終
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